ABCD学院 メールマガジン 2016年3月号

Communication: Information
3年間継続して掲載している「榎本武揚の生涯と時代」の全体の総括編

3.9 栄一・帰国後、新日本経済改革への取り組みの決意

この章の内容は後に述べる日本経済の改革に彼がどのように取り組むべきかを暗示している。

即ち、日本にとっても重要となる。十分に理解してほしい。

(1)帰国の準備

 昭武の帰国日程が決まり、帰朝のためのお迎えの使者(井坂泉太郎、服部潤次郎)がパリに戻った。使者が国書・フランス外務局宛書状を持参したものを翻訳し、世話人のヴィレット大佐を通じて同局へ提出した。

一方、栄一は荷造りや語学、画学、射撃の教師達に挨拶と給与の清算等で多忙であった。

帰国について、ヴィレットやフロリ・ヘラルドと相談し、1010日(西暦)の英国船で出航する旨外国局に届け出た。

(2)帰国の挨拶回りと清算

 先ずは、ヴィレットと執事ヴァンサンへ昭武から餞別品を手渡す。次に、ヘラルドには帰国に関する諸経費を清算し、またフランス商社からの借金の返済し、さらに帰国・旅費の払込を依頼した。

博覧会に出品したものを売り払った代金、仮御館家具類を売り払った代金はヘラルドからフランス商社に渡した。ヘラルドの斡旋で購入した債券の売却などで入金もし、収入も得た。

(3)帰国

 821日:59個の荷物をマルセイユまで発送した。帰国・準備完了である。

以上で、栄一達は慶応3年の春にフランスに渡航し、慶応4年(明治元年)113日に横浜に帰国するまでの間(欧州滞在は)17か月であった。

この間、栄一は庶務の仕事に追われて日を過ごし、学問はほとんどできなかった。しかし、欧州の各階級の人々に接し、様々な文明の書物を知り、見聞を広める内に多少は複雑な先進社会の構造を学んだと言える。

(4)反省と今後の希望および決意

尊王攘夷、討幕を志したが、失敗して幕臣となり、慶喜は今や、朝敵となって、再び世に立つことができない境遇に置かれている。栄一はフランスにいて、そのような激変を知っていても、どうにもならない微力な身であることを思い知った。そして、今、取るべき方策を考え抜いた末、一つの方法を思いついた。

こうなっては、日本に帰って身を立てようとも、窮況を脱することは無理である。その上は、民部公子に軍事についての相当な学問をさせることだ。そうすれば、再興の道が開けるかも知れぬ。しかし、自分はもう政事に力量を発揮することを捨て、この先は、経済の知識を広め、金融、運輸、商工業などを営むことに努めよう。30歳近い年となったが、語学も未熟であり、このままフランス経済界の実体について、2~3の要件が日本とは大いに違うことに気が付き、その点につき熟知した上で、フランスの方式を日本に持ち込み、日本経済の発展の基盤を作ろうと考えた。ちなみに、これは昭武の庶務を担当する内にフランスや欧州諸国の経済、流通のシステムを理解できるようになっていたこともある。

次に日本との経済の仕組みの違いに気付いた点。その幾つかの例を述べる。

1)紙幣の信用度の違い:

 紙幣の信用度が全く違うことに感心する。(フランスでは希望すればいつでも紙幣を正金の貨幣に

換えられる。しかも、正金の純度は法令で定められている。)

・当時の日本との比較:幕府では元禄、元文、天保、と幾度も貨幣を改鋳し、純度を下げても同じ価値として流通させ、市民をだましてきた。

栄一は考える。「フランス式にすれば、金融の流通は非常に円滑となる。」と。以下はヘラルドに教えられた事項であり、感心すること多々あった。

・金融の実務を行うには、バンクがあり、それを取り扱っている。

・このバンクは他人から、金を預かり、それを貸出しもする。為替の取り扱いをも行う。

・他に、公債証書があり、これは国家の借用証文と言うもので、それで、資金を融通する。

・その他、合本法(株式制度)によって、組織する鉄道会社があり、公債と同じく、社会に流通しうる借用証文を発行する。(日本では借用証文は余人に見せず、極めて秘密に出すものであったが、)

・欧州では、国家や会社が公然と国民の間に貸金の提供者を募り、しかるべき益金を支払う証文を売買する市場もあり、その価値は益金の増減により上下する。

 

さらに、栄一はヘラルドに色々な経済の仕組みについて実地体験をさせてもらった。

・詳細な金融の仕組み  ・公債証書の取扱い  ・バンクの経営法  

・商工業の組織の様子は十分ではないが、大略理解した。

・国家が隆盛を辿るのはこのように物質上の事物の構造が進歩発展せねばならないこと。

栄一の感想:

1)精神文明では、東洋が勝っていると信じていたが、物質文明では西洋がはるかに優れている。

この道を実地に究明して帰れば、経済上の活躍ができるに違いないと考えた。

2)もう一点、栄一が強く感動したことは、商工業者と軍人が平等で地位の差がないことであった。これは日本と大いに異なった点である。

 (日本の場合、この当時、階級(身分)制度が根を張り、役人はどんなに愚昧でも、知識がなくて

も威張っていて、自分の無価値に気がつかない。これは地方だけでなく、江戸や大阪でも同じである。)つまるところ「官吏の平等主義がなければ、国家の繁栄はない」と思うに至った。

 

著者コメント:

冒頭に述べた通り、栄一のフランスで学んできたことがここに示されており、後述する日本の経済の仕組みを改革する発想の原点が示され興味深い。そして、後に、成功もし、失敗もするが、がむしゃらに推進していく、この自信の原点はこれであるとも言える。

帰国後に、大隈から財務省の役人になるよう説得されるも、初めは拒否したが、これを受けいれた。 これには日本の経済の問題点に関し大隈の指摘に、同意し、かつ自分の考える組織作りに大隈が同意し、フランスから得た知識と重ね合わせ、大隈の意見に同感したからである。「ならばやってやろう」と考えたからである。また、やりがいがあると考えたに違いない。彼にとっても、また日本にとっても重要な場面となっている。

大隈が後に、「俺の最大の功績は栄一を採用したことである。」と言い切っている。

お問い合わせはこちら

 

ページトップへ