ABCD学院 メールマガジン 2017年2月号

Communication: Information
英語は使わなくちゃ!

第4章 実事業の創立
1.概要
設立から援助した会社は約500社に昇る。紙面の関係上、直接、経営をした
企業を下記に分け紹介する。
・資本主義化に関わるインフラの企業:
金融業:銀行、各種取引所(含む証券取引所)
保険業:火災、生命保険
陸・海運業:鉄道、地下鉄、汽船、築港
土木、水道、電気、燃料:ガス、石炭、石油
・外国製品に替わる国産製品の製造会社:
軽工業:綿紡績、絹織物、毛織物
重工業用原材料:製鉄、鉄鋼
化学品:肥料、薬品
重工業:造船、汽車製造
・消費物品(含む食品):ビール、製糖、乳製品
・流通、サービス業:商社、ホテル、不動産、広告、デパート、通信、新聞、印

上記の内、直接関わる代表的な会社を紹介する。
栄一は一企業の経営者としては必ずしも卓越した経営者とは言えないが、日本の
産業全体の総合プレンナーであり、オーガナイザーと言える。
1873年(明治6年):栄一は大蔵省を退職する。

2.2  軽工業
(2) 綿紡績会社
明治10年(1877年):この当時の日本の輸出品の主な物は生糸、茶、海産物、米
等の一次産品であり、典型的な発展途上国の産業構造であった。栄一はこれを変
えたいと考えた。特に、西南戦争後を境に、輸入品が急増した。その主な輸入品
は綿織物であった。栄一は、これは消費物資で財政上危機感を持った。
栄一曰く「丁度その当時、第一銀行の頭取であった頃で自分は荷為替を扱ってい
た。(中略)
次第にその事情を調べると、従来の日本の品物よりはインドから来る品物は質が
良く、価格も安い。これでは益々、入ってくるに相違ない。そこで、これは由々
しき問題として、どうにかせねばならないと考えた。」(青淵回顧録より)
ちなみに、明治元年~11年までの綿製品の貿易収支は下記である。
・綿製品の総輸入額:(1年)1億600万円、この年期間の総輸入額は2億
9050万円で、36%を占めていた。特に西南戦争後急増した。

・この原因:西南戦争後、大隈の積極財政で、インフレとなり、消費財への需要
が拡大し、生活が贅沢化したことによる。
これを受けて栄一は下記の危機感を持った。
① 綿織物は消費財として輸入されるも、貿易収支を赤字にするばかりで、日本
の産業化に役立たない。
② これは産業的自立を遅らせる。
上記発想は(危機感)は日本のみが考えたことで、資本主義化の過程で極めて重
要である。

著者コメント
さすがに、嘗て、綿製品を(染物屋ではあるが)扱っていたので、綿紡績や製品
についての需要や販売について、十分な理解力がある栄一なので、また、海外情
勢を良く知る彼でなければ考えが及ばないであろう。外国資本に対抗する手立て
を考えている。彼以外にこれを理解し、かつ対策を講じられる人はいないと思わ
れる。
先回りとして言えば、結果として、後年、富岡製糸工場を設立し、経営すること
となる。
現在、世界遺産となり、観光客を多く迎える状況に考え深いものがある。

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