ABCD学院 メールマガジン 2017年10月号

Communication: Information
英語は使わなくちゃ!

7月から渋沢が始めた「教育事業」について述べています。今月は4回目です。
一橋大学の前身を立ち上げていきます。

3.教育事業
これまで、商業教育は多少波乱がありましたが、それでも彼の努力と力で、比較
的順調に進められてきました。今月はまとめとして、いよいよ商業を専門とした
大学教育を始めたことに関連し、大学教育とはどのようにあるべきかを述べたい
と思います。

著者コメント:
1.栄一が初めて、教育事業に参画した時は「商法講習所」として発足した
1875年(明治7年)であった。そして、一橋大学として成立した年は1912年(明
治45年)である。この間実に37年間努力し苦労をしてきた。通常の人間であれば
とうに諦めていたであろう。しかし、彼には「日本に商科大学を設立する」とい
う使命感が頑張らせたと言える。
幼少期に受けた屈辱とフランスに行って学んだ文明国の軍人と商人とが対等に付
き合っている姿を直に見聞し、日本でもこうすべきと言う信念がそうさせたとい
える。

2.最後に「一橋大学設立」で述べた益田と栄一とのやり取りは教育、特にリー
ダーを育成する上で、示唆に富む。即ち、その時代での常識のみで教育を論議す
る上では十分でない。将来を見据えた理念、目標(どのような人物に育成すべき
か)が必要となる。すなわ、少なくとも、パスファインダーとなる人物が必要で
ある。
と言っても、先を読める人物が多くいるかと言えば難しい。前記の議論でも、益
田は「商人への大学教育には反対した。」何故なら商人は金を儲けるのが仕事と
である。即ち「金を儲けるには一般に腰を低くしないと儲けができない。」「大
学出は腰を低くすることなど考えないからだ。」とする。
この論理は国内だけで商売しようとするなら、益田の意見は正解かもしれない。
しかし、世界で国際的な営業するとしたら、これは通じないであろう。栄一がこ
の点を指摘している。この時代、これを指摘できたのは栄一と森有礼だけであろ
う。将に二人がそれを主張し、実行している。ここが重要である。

3.上記に似たような経験を通じて以下の精神を当方は持って学院での教育と指
導に当たっている。
当方が大学に入学した当時、大学は、一学年は教養課程を制度化しており、1年
生は専門課程でなく、均等に分けられ、9クラスに分けられていた。当方が所属
する一クラスは担当教官は故・宮城音弥・心理学博士であった。この教授が心理
学授の業最初の挨拶で、開口一番「君達は、東京工業大学に入学したと言っても、
職工になるな! 広い視野の(教養ある)社会人・エンジニアになれ!」と。工
大は昔、「職工学校」と命名されていたからであろう。それでなくとも、総合大
学に比し、専科大学は専門科目中心のため、比較論としてどうしても視野が狭く
なる。先生は、その言葉の後に「逆T字型の人間になれ」と続けた。これの意味
するところは「文科系と理工科系とがバランスして学ぶ、底辺(基礎を作り)縦
棒は先端(専門部門)を尖らすように」ということである。

この精神は当方の学院の生徒にも引き継ぎ、指導している。即ち、「逆T字型、
または富士山型」人間形成を目指すとしている。

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