2018年 11月号 D項

ディベート&ディスカッション中心の英会話学校

2018年 11月号 D項

Debate: Topic and Outline
毎月行われているYYクラブのディスカッションの概要(英訳と日本語訳あり)

今月11月に開かれる第146回YYクラブの第1テーマは今年9月に開かれた国連総会での各国首脳、取り分け、米国大統領・トランプと仏国大統領・マクロンの演説でした。

この時の内容は「反グローバル」と「グローバル」の対立でした。今回は下記のテーマとして取り上げます。

US President Trump gave a speech criticizing an ideology of globalism, while French President Macron supported it in the UN on Sept. 26th.  Which opinion do you agree with, Trump’s or Macron’s?  Or

Do you think the world will be kept peace without globalism or only nationalism?

YYクラブのディスカッションを促進させるため、明治の初めに渋沢栄一が率いた三井グループと岩崎率いる三菱グループとの海運事業における死闘を取り上げて、今回のテーマ「グルーバル化」の行く末を予測するための参考にしたいと思います。

今月のこの項の議論は第146回YYクラブでの議論に間に合わせるため、また資料が長いので今月は日本語版のみを添付します12月分にこの英文を添付することにします。ご参照ください。いつもの通り、明子とBenjaminとの会話形式でご紹介します。

A:まず、岩崎の日本の経済に対するスタンスはどの様なものなの?

B:岩崎の経営理念は明治11年に三菱商会の社則に述べられているので、

要約すると「三菱は株式会社を名乗っているが、あくまで、岩崎弥太郎が独占支配する個人商店である」としている。

A:一方、渋沢の経営理念はどの様なのであろうか?

B:彼がフランスで学んだサンシモン主義的な資本主義であり、「日本の封建制度を変革するためのもの」としていた。

A:企業ましてや個人商店であれば、「三菱・ファースト」としても止むを得ないであろう。

一方、渋沢は、日本の経済制度を改革し、健全な資本主義を根付かせることが重要と考えていた。これが根本的な違いだね!

B:対立は何時から始まったのであろうか?

A:明治11年:この頃、岩崎三菱は絶頂期であった。その岩崎は渋沢に招待状を送った。

即ち、墨田川・向島の料亭に招待した。渋沢は警戒しながらもこれに応じ、料亭で宴が開かれた。宴会もたけなわになった頃、岩崎は屋形船に渋沢を誘い、隅田川に漕ぎ出してから、話を切り出した。岩崎「これからの事業はどの様に切り盛りしたら良いであろうか?」

B:これに対して、渋沢は何と答えたのか?

A:「欧米の通り、合本制を大いに普及させる以外にない。」「合本制こそが国を富ませ、民の懐を豊かにする道である。」と答えた。

B:渋沢らしい返事であるが、これに対して、岩崎はどの様に反応したのか?

A:岩崎は「しかし、合本制では船頭が多くて船山を登るのでは?」と反論した。さらに続けて「事業と言うものはあくまで一人の才能ある人が経営も資本も独占して行うべきと思う。」と答えた。三菱の創業者らしい意見である。

B:渋沢とはどうしても考えが合わないが、渋沢はどの様に答えたのか?

A:「確かに、経営者には才能ある人間を配するのは賛成であるが、合本制ではその資本を集めるのにも、また、利益を出資者に還元するにも適している」と答えた。確かに、多人数の出資者から、資金を集め、その資金額によって、利益を還元するのは合理的であると思う。

B:岩崎は何と答えたの?

A:『渋沢さんは「合本制」、「合本制」と言うが、そんなものは理想主義に過ぎない。』

『大体、事業をやろうとする者は会社を経営して、その利益を独占できるからこそ、一生懸命働くのです。』「渋沢さんは何時までも合本制に拘っていないで、いっそ、この私と手を組んで仕事をしませんか?そうすれば、日本の実業界は二人の思いのままに動かせる。これからは二人で協力して行こうではありませんか!」と述べた。

まさにこれは「三菱・ファースト」の考えである。「自分のままに日本の経済界を動かしたい」と。

B:最後の言葉が岩崎の本音であり、渋沢を招待した意味でもあろう!渋沢はこれにどの様に対応したのか?

A:渋沢はここに来て、岩崎と真っ向から対立する資本主義理念を持つ人間と確認した。そして、トイレに行くと見せかけて、逃げ出した。

B:これに対して岩崎はどの様な対応をしたであろうか?

A:岩崎はいつまでも戻らない渋沢に立腹し、復讐を誓った。

彼にしてみれば、屋形船であれば逃げられないと考えたのであろう。やられたと思ったに違いない。後の祭りである。以降、二人の戦いが始まるのである?

 

B:第二ラウンドはどの様に開始されたか?

A:三菱と・政治家・大隈との連合対三井・渋沢連合の対決である。この背景には「大隈の積極財政により、インフレが拡大したため、渋沢はインフレ阻止の急先鋒に立ち、大隈の背後で操っている岩崎に対して反感を持っていた。」

(これには、詳しく触れないが、明治初年、新政府が株式会社の実験モデルとして海運事業を三井などの豪商達の資本で作らせた政府:直営の会社「郵便蒸汽船会社」はサービスが悪く、民間の三菱に敗れたためでもある。将に、昭和の旧国鉄の習いである。)

B:両社はどの様に戦ったのか?

A:三井グループは海運を独占する三菱に対抗するため、三井・渋沢連合が結成されて、「東京風帆船会社」を設立した。三菱はこれを潰しにかかった。以下の様な戦いが始まった。

(1)先ずは、情報戦争であった。三菱は、マスコミ(新聞社)を使って、風評記事を流し、設立反対のキャンペーンを展開した。

(2)また、同社の公募に応じた地方の豪商に直接切り崩しにかかった。

結果、この第2ラウンドは三菱の圧勝であった。

 

  • 第3ラウンドの戦い:官有物払下げ問題(渋沢と岩崎との代理戦争)

このラウンドは国内の政治、派閥争いの様子で、トランプとマクロンの争いからは遠いので、簡単に述べるとする。

B:第3ラウンドはどの様に?

A:明治14年1月:大隈、伊藤、井上等の政府首脳が「北海道開拓使の廃止問題を協議した。これは年間百万円に及ぶ投資を10年間以上続けてきたが何ら成果を見出せない北海道開拓使を廃止しようと図ったものである。

・問題は開拓使長官・黒田清隆の処置

・政府が1400万円も投資した設備等を薩摩閥の政商・五代友厚に払い下げるか否かの議論

であった。

B:議論の結果はどの様になったのか?

A:大隈の反対にも拘わらず、伊藤と井上が払い下げを賛成したため、北海道の官有物はわずか38万円で、しかも年賦で払い下げが決まった。しかし、大隈は一旦可決したこの払い下げ問題を、彼の系列の御用新聞を動員して「破格の払い下げは薩摩閥の陰謀だ!」と非難した。この裏には北海道に橋頭堡を築こうと目論む岩崎が大隈に決定の取り消しを迫ったためである。即ち、これは大隈=岩崎VS黒田=五代連合の闘いであった。

B:結論はどの様になったのか?

その後、御前会議が開かれ「五代への払い下げは」世論の反対で取りやめとなった。

同時に、「大隈も三菱との結びつき」を非難された。結果として大隈と黒田は両者痛み分けとなり、両者は免官となった。即ち、大隈は退陣となり、岩崎も後ろ盾を失い、政商として政府に食い込む機会を失った。

A:後日談があるようだが、どのようなのか?

B:明治15年7月:東京風帆船会社を中核として、他に2社が加わり、渋沢を発起人とする共同運輸会社が設立された。これに農商務大臣となった品川弥次郎が資本金600万円の内、200万円を出資し、年配当2分を保障して、共同運輸を強くバックアップした。

これに対し岩崎・三菱と下野して立憲改進党を結成した大隈は彼の息のかかった新聞を総動員して「共同運輸設立の不可」を訴えた。しかし同じく野党にありながら大物政治家・星亨が加入した自由党が海運業で私腹を肥やす「岩崎は海坊主だ!」「海坊主を金主とする改進党は“金権の偽善者”であると猛烈な「反・三菱」キャンペーンを」展開したため、三菱と改進党は守勢を迫られた。

 

 

 

  • 次は第4ラウンド:三井・渋沢連合の岩崎・三菱との死闘(ダンピング攻勢)

A:「三井・渋沢連合軍と三菱・岩崎の海運業での死闘」とはどのように戦われたのか?

B:明治16年に三井・渋沢連合の海運業として共同運輸会社が開業した。そして、三菱の岩崎は政治家・星亨から「海坊主」と言われた。三井は彼を退治すべく猛烈なダンピングをかけた。

A:まともな資本主義を導入しようとする渋沢が何故ダンピングまでして三菱と争そうとするのであろうか?

B:渋沢は日本に正常な資本主義を導入するためには合本主義が良いと考えていた。しかし、岩崎は独占主義が良いと考えており、相容れない考えであり、一企業の生死でなく、日本の資本主義の在り方の戦いであった。従って、渋沢は死闘をかけたと言える。

A:ではどの様な戦いであったのか?

B:当時の新聞によると以下の様な戦いぶりで、マスコミを賑わし、また、世間の注目を浴びた。

特に、神戸―横浜間の共通航路は血の出るような戦いであった。当時、この間の船客運賃は75銭であったが、この張り合いから、無料となり、しかも手拭一本がプレゼントされた。

また、同時刻に出帆する汽船ではどちらが先に着くかが争われた。

このため、燃費は無視され、やたらと石炭が炊かれ、まるで海上マラソン競争であったと言われた。

A:これではまるで、意地の張り合いで、愚かな競争であった。しかも、船同士の速度の競争ならまだしも、競争は歯止めが利かず、相手が倒れるまでと、頑張り続け、これにより、当然、赤字は莫大となったであろう。

B:そう、両社の赤字は数十万円に達したと言う。こうなると将に、日本の資本主義の未来を賭けた理念の戦いである。しかし、岩崎はしたたかで、この間にも、岩崎は渋沢の合本主義を逆手に取り、共同運輸の株買占めを図り、資本を制することで勝負を付けようとした。しかし、岩崎の資金は続いても彼の寿命が限界にきた。

明治182月岩崎弥太郎は帰らぬ人となった。将に死闘と言える。

A:次世代・岩崎はどうしたのか?

B:この戦いはこれで終わらなかった。二代目・弥之助は先代の遺志を継ぎ、戦いを続行する意思をあらわにした。

明治1810月:このため、ついに外務卿・井上馨が両社の間に入り、レフリー・ストップをかけた。これで、第2ラウンドは両者引き分けで勝負は終わった。

A:その後、両社は?どうしたのか

B:この死闘が決着しなかったため、政府が両社の正・副社長を更迭して、局面を収拾し、ついで、両社を合併させることを図った。これにより、両社は合併し、日本郵船会社と名付け、再出発することとなった。

A:会社の規模はどのようか?

B:資本金:1100万円で、この内、三菱は500万円、共同運輸:600万円であった。

 

両社にとって、資本主義理念対立であり、共に譲れない戦いであった。

 

そして、最後は政府が介入することでタオルを投げ入れられた格好である。

 

前述の渋沢と岩崎の死闘を通して、現在のトランプとマクロンを代表するEUとのディベートで共通する項目は以下の点である。

  • 一国主義(アメリカ第1)と一企業主義(三菱・第一)が似た者同士(保護主義とも)
  • 自由主義経済(EU)と合本主義(日本全体のフェアな資本主義)

 

以下は場面を現代に転換し、再び会話に戻る。

A:所で、9月に国連総会でトランプ大統領が演説した。どのような内容であったのか?

B:当然ながら「アメリカ・ファースト」を推進すると言い、「国連はグルーバルな官僚主義であり、これに決して屈しない。」と主張した。

A:アメリカ第一主義は11月の中間選挙を意識しての発言と理解するが、大国アメリカが自国第一主義をかざして、現状でも世界一の軍事力をさらに強化し、また、経済力をも強化して世界第1のハード・パワーを振り回す。これでは何でも出来てしまう。

国連を無視し、都合が悪ければ、「アメリカ第一、愛国主義」として反対する。これがどうして民主的主義と言えるであろうか?重要なのはソフト・パワーをどの様に発揮するかである。民主党時代、顧問であったナイ博士が述べていたことで、世界の共通認識であったはずだ!

B:単純で分かり易い例はが「パリ協定離脱」である。二酸化炭素の世界1位がアメリカでありながらパリ協定を離脱した。わがまま放題と言える。その結果として利益を享受する。「いい所取り」とはこのことだ!

A:パリ協定離脱の結果は、数年後に地球温暖が化益々進み、災害が多発するであろう。

それでは遅すぎる。特に、現在の米国政府にはサイエンスに強い閣僚がいないことも問題である。 国連総会総会でマクロン大統領はどの様な主張を行ったのであろうか?

B:かれは、トランプを意識して、先ず「パリ協定を離脱する国とは貿易協定を結ぶのをやめよう!」と述べた。次に「世界は、自国の利益追求する最もすざましい無法地帯がまん延している。」と非難した。トランプを正面から避難しており、勇気のいることであり、共感する人は多いであろう! 国連の昼食会で、グテレス事務総長が「我々は、皆、世界市民でもある」と述べたのはこの例である。

 

トランプ政権を非難することがこのコラムの目的ではないので、ここまでで、トランプ非難は打ち止めとします。

議論したいことは、前半の三菱・岩崎の企業第一主義とトランプの米国第一主義は規模は異なるが、共通する思想である。ただし、企業第一主義は、ここの企業にあっては当然と言える。しかし、彼の場合は隅田川での渋沢への提案が示すように、自分の企業は利益ヲもたらすのであれば、何でもオーケーとして渋沢に2社で経済界を独占しようとすることが問題である。この点がトランプと共通する、米国第一主義が問題を明確に示すところである。世界市民として活動することを考えない。